「死」ということ
たまにはまじめに 思い出話など
小学校3年か4年だったと思う
窓際の席が大好きで、いつも授業中は窓から外を眺めてボーっと空想の世界で遊んでいるような子供だった。
その日も、最後の授業が終わって、ホームルームが始まる前、先生が来るまでの間、いつものように外を眺めて空想の世界に入っていた。
自分の名前を呼ぶ声にふと我に返ると、いつの間にかホームルームが始まっていた。
いつもガツンと叱られるのだが、その日に限って先生は「○○(私の名)今なにを見ていた?」と聞く。
当時、私にはまだ小学校に入る前の妹がいたのだが、私は「妹が小学校に来たらどうなんだろうなぁ」なんて、妹が校庭で遊ぶ姿を想像していたのだった。
空想の世界のことなので、いつもなら適当にごまかして謝るのだけれど、不意に聞かれたこともあるのだろうが、その日に限ってはそのまま「妹が来ているような気がして…」というようなことを先生に答えた。
叱られると思って身構えていたのだけれど、先生は一言「そうか」といった後、「人は死ぬときに、その魂は身近な人の元へ現れるという」というようなことを話し、その後「○○(私の名前)すぐ家に帰りなさい」と
叱られたと思っているから、理由も聞かずにすぐ家に帰った。でも家に帰ると、誰もいない、ただ家中がいつもと違う妙な違和感に包まれていた。
いつも家にいるはずの母がいないことも妙だったけど、出かけたという雰囲気でもない。いろいろなものがそのままになっていて、そこにいた人間が突然消えた、そんな感じだった。
いつまで待っても誰も帰ってこない
日が暮れて、そろそろ明かりを灯そうかというころ、父が帰ってきた。父の後ろには姉と、そして泣いている母と母の横には木の箱が知らない人に抱えられて…
そこで初めて妹が死んだってことを聞かされた。
それから、通夜やら葬儀やら家中が騒然とし出した。私は全然悲しくなかった。
葬儀のために夏の間に2階までのびたへちまが切られる方が悲しかった。
「人が死ぬ」ということがまだよくわからなかったんだと思う。
棺の中の妹は、いつもの寝顔のままだった。
祭壇に飾られた妹の写真は、つい昨日の笑顔のままだった。
嵐のような葬儀が終わった後は、家中が静寂に包まれていた。
でも、その静寂の中、食卓や、居間や、階段や、そこら中に妹の陰があった。
陰を見つけるたびに、いつものようにからかおうとして、それが陰だと気がついた。
陰が消えてしまうたびに、ただ寂しさだけがその場に残った。
それが私が初めて経験した「人の死」であった。
私自身は「死ぬ」という経験はしたことがないので、「死ぬ」ということがどういうことかはわかりません。
ただ、この歳になるまでに、祖父や祖母、そして父と身近な人間の「死」を経験し、そしてそのたびに私は「残された人」であった。
もちろん、私も今までに「消えてしまいたい」なんて思ったことはたくさんあります。
ただ、そのたびに「残される人」について考えてしまいました。
「消えたい」と思うたびに、父や母や、今では女房や子供達が、どんな顔をするのだろう
そんなことを想像すると「いや、今消えちゃだめだ、彼らのために、今はがんばろう、もう少しがんばってみよう」なんてそう思いました。
そうやって生きながらえています。
私が今生きているのは、私の家族のおかげです。
私には家族がいるからがんばれるのです。
今若者の自殺について、いろいろとニュースになっています。
マスコミにはあまりセンセーショナルに扱ってほしくないなとも思いますが
自殺する方には、それなりの理由があって、考え抜いた結果だとは思います。
ただ、一言だけ
「死」ということについて、もう少し考えてみませんか?
自分が死ぬということについて
他の人が死ぬということについて
そして
残された人のことについて
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